江戸末期から明治維新の単元は入試頻出となります。
覚えることが多く、苦手としてしまう受験生が多くいます。
漠然と暗記しようとするのではなく、関連する事柄をまとめて覚えたり、出来事の流れを掴んで覚えたりすることが大切です。
また、今まであまり出てこなかった外国人の名前を覚える必要もありますので、カタカナにも慣れていくようにしましょう。
それでは、江戸幕府の滅亡について見ていきましょう。
前回の内容【中学・高校受験】社会の歴史(江戸時代の生活と三大改革)
鎖国から開国へ
江戸時代、日本は鎖国をしていました。
鎖国の学習【中学・高校受験】社会の歴史(江戸時代前半のポイント)
日本が鎖国をしている間、ヨーロッパでは産業革命が起こりました。
- 蒸気機関で動く機械により工場で商品が大量生産される
- 蒸気機関で動く船などが造られた
大量生産された商品を売るための市場を求め、ヨーロッパの国々はアジアなどに進出を始めた。
日本への来航の流れ
1792年:ラクスマン(ロシア)が根室に来航
1804年:レザノフ(ロシア)が来航
1808年:イギリス船フェートン号が長崎に来航
1837年:アメリカ船モリソン号が来航
1853年:ペリー(アメリカ)が浦賀に来航
1854年:ペリー(アメリカ)が横浜に来航
間宮林蔵と伊能忠敬
ロシア船の来航により、北方の警備の必要性が高まる。
近藤重蔵:千島列島の探検
間宮林蔵:樺太の探検(樺太が島であることを発見)
伊能忠敬:蝦夷地を含む日本全国の測量(正確な地図を作る)
フェートン号事件とモリソン号事件
1808年:イギリス船フェートン号が長崎に来航し、オランダ商館員を人質にとるという事件が起きた。(フェートン号事件)
この事件ののち、幕府は異国船打払令を出した。
- 理由を問わず来航する外国船を砲撃する命令
- 1840年、アヘン戦争(清:負けVSイギリス:勝ち)の結果を見て打払令をゆるめた
1837年:アメリカ船モリソン号が日本人の漂流民を送り返すため来航したが、打払令により砲撃された。(モリソン号事件)
- モリソン号事件の対応で幕府を批判した、渡辺崋山・高野長英らが処分された事件
ペリーの来航
1853年:アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航。
アメリカ合衆国はクジラの油を取るために、捕鯨を行っていた。
捕鯨船の補給地を得るため、日本の開国を迫った。
1854年:ペリーは再び7隻の軍艦を率いて横浜に来航。
- 下田(静岡県)・函館(北海道)の両港を開く
- 水や食料・燃料(石炭)などを補給する
- イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結んだ
日米和親条約により鎖国体制は終了した。
ハリスの来日
下田に来日したアメリカ総領事ハリスは、大老の井伊直弼との間で、日米修好通商条約(1858年)を結んだ。
- 外国人が日本で犯罪を犯したときに日本の法律で裁けない(領事裁判権・治外法権を認めた)
- 輸入品に関税を日本が自主的に決めることができない(関税自主権がない)
- 函館(北海道)・神奈川(横浜)・新潟・兵庫(神戸)・長崎を開港
- イギリス・ロシア・オランダ・フランスとも同様の条約を結んだ
外国との貿易
通商条約が結ばれた後、外国との貿易が始まった。
【国別順位】
- イギリス
- フランス
- オランダ
- アメリカ
【輸出品】
- 生糸
- 茶
- 蚕類
【輸入品】
- 毛織物
- 絹織物
- 武器
- 艦船
- 綿糸
安政の大獄と桜田門外の変
朝廷の許しがないまま日米修好通商条約を結んだことで、幕府への批判が高まった。
- 大老の井伊直弼が吉田松陰らを処罰した事件
- 1860年:大老の井伊直弼が水戸藩(茨城県)の浪士によって江戸城の桜田門付近で暗殺された事件
世直し一揆
外国との金・銀の交換比率が異なることから、日本から大量の金が流出した。
品不足から物価が上がり、人々の不満が高まった。
民衆は借金の帳消しなどの『世直し』を唱えて、一揆や打ちこわしを起こした。
『ええじゃないか』と踊り歩いて熱狂する騒ぎが各地で起こった。
江戸幕府の滅亡
社会の混乱から、幕府の権威が大きく低下。
尊王攘夷運動が起こった。
- 幕府から天皇に政治の中心を取り戻そうとする考え(尊王)
- 外国を打ち払おうという考え(攘夷)
- 上の2つが結びつき尊王攘夷運動となった
- 尊王攘夷運動の中心は薩摩藩(鹿児島県)・長州藩(山口県)だった
- 吉田松陰(長州藩)が萩に開いた塾
- 松下村塾の出身には高杉晋作や伊藤博文などがいる
幕末の主な人物
藩ごとに覚えることが重要
【長州藩】
- 木戸孝允
- 高杉晋作
【土佐藩】
- 坂本龍馬
【薩摩藩】
- 大久保利通
- 西郷隆盛
【幕府】
- 徳川慶喜
- 勝海舟
失敗した攘夷(生麦事件と下関砲撃事件)
- 1862年:薩摩藩が生麦(神奈川県)付近でイギリス人を殺害した事件
- 薩英戦争が起こり、薩摩藩は敗れた
- 1863年:長州藩が関門海峡を通る外国の艦隊を砲撃した
- 下関の砲台が外国艦隊の砲撃を受けた後、占領され長州藩は敗れた
倒幕運動
攘夷に失敗した薩摩藩や長州藩では、外国に対抗できる強い国を作る必要から、外国と手を結んだ。
薩摩藩:イギリスの協力を受ける
長州藩:高杉晋作によって奇兵隊が組織された
- 1866年:土佐藩の坂本龍馬の仲立ちにより、薩摩藩と長州藩が結んだ同盟
- 幕府を倒すためにイギリスの協力を得ることに成功
大政奉還(江戸幕府の滅亡)
会津藩や新選組(近藤勇・土方歳三)は京都の警備を強化した。
幕府はフランスと結び、軍備を強化。
しかし、15代将軍の徳川慶喜は1867年に政権を朝廷に返す大政奉還を行うことを決めた。
大政奉還により、江戸幕府は滅亡した。(江戸時代は約260年続いた)
約700年の武士の政治も終わった。
戊辰戦争が起こる
大政奉還の後、王政復古の大号令が出され、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府が成立。
これを不服とする旧幕府軍と新政府軍との間で、鳥羽・伏見の戦い(京都)が起こった。(新政府軍の勝利)
鳥羽・伏見の戦いに勝利した新政府軍は、江戸城を攻撃しようとした。
幕府家臣の勝海舟は、新政府軍の西郷隆盛(薩摩藩)と話し合い、江戸城を明け渡すことに合意した。
江戸城明け渡し後も、会津藩は新政府軍に抵抗した。
少年によって組織された白虎隊も加わったが、会津藩は新政府軍に降伏した。
旧幕府軍は、函館の五稜郭に立てこもり最後まで抵抗したが、1869年に降伏した。
鳥羽・伏見の戦い〜函館五稜郭の戦いまでを戊辰戦争という。
まとめ
江戸幕府が滅亡する江戸末期は覚えることが多くあります。
上に書いてきたことの他にも、『寺子屋(読み・書き・そろばん)』などの重要語句があります。
まずは、開国〜江戸幕府滅亡までの流れを覚え、細かい知識は後付すると良いでしょう。
歴史好きの男の子ですと興味を持てる単元かもしれません。
逆に歴史が嫌いなお子様であれば、誰か興味を持てそうな人物に特化して勉強をすると良いかもしれません。
受験に頻出の単元ですので、流れをおさえながら細かい知識まで覚えられるよう頑張りましょう。
他のお子様も苦戦する単元ですので、逆に考えると差をつけることができます。