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【中学・高校受験】社会の歴史(昭和時代・太平洋戦争)

太平洋戦争

昭和時代の歴史の学習です。

昭和時代は戦争から始まり、敗戦、復興と目まぐるしい変化がありました。

戦争では並び替えの問題が出題されることが多くあります。

流れを掴みながら、重要な年号を覚えるようにしましょう。

昭和時代の流れを掴むためには、それまでの出来事を確認しておく必要があります。

前回の内容【中学・高校受験】社会の歴史(大正デモクラシー・第一次世界大戦)

それでは、第二次世界大戦と太平洋戦争を中心に、昭和時代の歴史について見ていきましょう。

昭和時代

1926年〜1989年

恐慌・戦争・敗戦・復興・経済成長の時代

恐慌

関東大震災・第一次世界大戦後の不景気は、昭和になってからも続く。

1927年、金融恐慌(銀行が次々に倒産)が起こる

1929年、世界恐慌(アメリカから)が起こる

日本の経済は危機的状況となる

財閥

三井・住友・三菱などの財閥と呼ばれた大会社が、政治家と結びつき力をのばした

国民の政治に対する信頼が失われた

軍部が力をつける

長引く不況の中、領土を拡大し、資源や市場を確保し、失業者が仕事を得ることが出来る状況を作ろうと考えた。(国民も軍部の考えを支持)

1932年5月15日

海軍の青年将校たちが、犬養毅首相を暗殺(五・一五事件

政党政治が終わった

1936年2月26日

陸軍の一部が東京を占領し、政治家などを暗殺(二・二六事件

反乱は失敗したが、軍部の政治に対する発言力が強まった

日中戦争

満州事変をきっかけに、国際連盟を脱退、中国への進出が加速していく

満州事変

1931年、柳条湖の近くで、南満州鉄道(日本が所有)の線路が爆破される(柳条湖事件

関東軍(日本軍)の一部が起こしたものだったが、中国軍のしわざとして、満州の一部を占領

1932年、満州国を建国

この一連の出来事を満州事変という

国際連盟から脱退

満州事変が起こると中国は、国際連盟に訴えた

リットン(イギリス人)を団長とする調査団が派遣された

リットンは満州を中国に返し、日本人を含めた外国人の指導のもと、満州に政府を作るという報告書を提出

国際連盟の総会で同意されると、日本はこの同意に反発し、国際連盟を脱退

日中戦争

1937年、北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍の武力衝突が起こる(盧溝橋事件

盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争が起こった

首都(南京)も日本軍によって占領された

日本国内の様子

日中戦争が長引くと、兵士や物資の不足が目立つようになってきた

国家総動員法を制定し、国民を兵士や軍需工場に動員出来るようにし、石炭などの資源を優先的に軍事に回すことが出来るようにした

国民の生活必需品の流通を国家が制限する配給制も始まった

第二次世界大戦

ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニらが国民に支持され、独裁的な政治を行っていた

1939年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに、第二次世界大戦が起こる

日独伊三国同盟

日本は日中戦争を有利に進めるため、南方の資源獲得を目指し、フランス領インドシナ(現在のベトナム)に進出

アメリカ・イギリス・中国・オランダは日本への石油輸出を禁止した(ABCD包囲陣

1940年、日本・ドイツ・イタリアの間で日独伊三国同盟が結ばれた

1941年、日ソ中立条約を結び、北方のソ連に備えた

太平洋戦争

陸軍出身の東条英機が内閣総理大臣になると、アメリカとの戦争にふみきることになった

1941年12月8日、ハワイの真珠湾とイギリス領マレー半島を日本が攻撃

太平洋戦争が始まった

戦線の拡大

日本はオランダ領インドネシアをおさえ、石油資源を確保

戦線が広がり、戦争が長期かするにつれアメリカなどの連合国との兵力・物資の差が鮮明になる

ミッドウェー海戦に敗北すると日本は劣勢に

同盟国のイタリアは1943年に降伏

戦争中の日本国内の様子

劣勢になった日本は正しい情報を国民には伝えなかった

戦争が激しくなると、学生や生徒も兵士(学徒出陣)や工場の労働者(学徒動員)としてかりだされた

朝鮮人や中国人も日本の鉱山などで働かされた

さらに、植民地の台湾や朝鮮では日本語の使用や神社への参拝、創氏改名などの皇民化政策が取られた

学童疎開

都市部への空襲が激しくなると、子どもたちは集団で地方に疎開することとなった

戦争中のドイツ

ドイツではユダヤ人への迫害が厳しくなった

多くのユダヤ人が強制収容所に送られ殺害された

アウシュビッツ強制収容所

ポーランド南部にあったアウシュビッツ強制収容所は最大規模の強制収容所で、100万人を超えるユダヤ人が命を失った

ユダヤ人少女のアンネ・フランクはユダヤ人への迫害の様子を日記「アンネの日記」に記した

日本とドイツの敗戦

1944年 サイパン島が奪回されるとアメリカ軍のB29爆撃機が日本本土を空襲するようになる

日本は特攻隊による反撃を試みる

1945年3月10日 東京大空襲

1945年4月 1日 沖縄上陸

1945年5月    ドイツ降伏

1945年7月26日 ポツダム宣言が発表

1945年8月 6日 広島に原爆投下

1945年8月 8日 ソ連が日本に宣戦布告

1945年8月 9日 長崎に原爆投下

1945年8月15日 天皇がラジオで敗戦を伝える

まとめ

1945年の出来事は並び替え問題で出題されることが多くあります。

また、「東京大空襲」を漢字指定で出題した中学校が過去にあるので、漢字の練習もしておく必要があります。

太平洋戦争で東京は焼け野原となり、復興には時間がかかると思われていました。

しかし、ある出来事をきっかけに日本は急成長を遂げます。

歴史は流れを押さえることで問題を解けるようになっていきます。

大きな流れを覚えながら、関連することをたくさん覚える工夫をしていきましょう。

次回の内容【中学・高校受験】社会の歴史(昭和・平成時代)

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