日清戦争・日露戦争はテストによく出る単元です。
年号も覚える必要があります。
男の子は興味を持って取り組める方も多いと思いますが、女の子は苦手としてしまうことがありますので注意して下さい。
まずは、歴史事項の流れを中心に確認していくと良いでしょう。
前回の内容【中学・高校受験】社会の歴史(明治維新と文明開化)
それでは不平等条約の改正・日清戦争・日露戦争を中心に明治時代の産業の発展について見ていきましょう。
目次
不平等条約の改正
江戸時代の末期に諸外国との間に結ばれた通商条約は、日本にとって不利な内容となっていた。
- 領事裁判権(治外法権)を認めた
- 関税自主権がない
岩倉使節団
1871年、岩倉具視を全権大使とする「岩倉使節団」がアメリカ・ヨーロッパに派遣された。
(目的)条約改正の交渉
(結果)交渉はまとまらず
(理由)日本の近代化が進んでいないから
岩倉使節団には、女子留学生も含まれていた。
津田梅子(当時6歳)も含まれており、アメリカで学んだ。
津田梅子は帰国後、女子英学塾(現・津田塾大学)を作り、女子教育の発展につくした。
清(中国)・朝鮮・ロシアとの関係
1871年、日本は清と日清修好条規(対等条約)を結んだ。
1875年、日本はロシアと樺太・千島交換条約を結んだ。(樺太:ロシア領 千島列島:日本領)
1876年、日本は朝鮮と日朝修好条規(日本に有利な条約)を結んだ。
1876年、日本は小笠原諸島の領有を宣言。
欧化政策・鹿鳴館
欧化政策・・・条約改正を進めるため、日本人の生活を西洋化する政策
鹿鳴館・・・東京に建てられた西洋式の建物。外国人を招いてダンスパーティーが開かれた。
※条約改正にはあまり効果はなかった
ノルマントン号事件
ノルマントン号事件とは
1886年、和歌山県沖でイギリス船(ノルマントン号)が沈没。
ノルマントン号が沈没した際、日本人が救助されなかった出来事。
イギリス人の船長は領事裁判権によってイギリスの法律で裁判を受け、軽い罪になっただけだった。
そのため、国民の間には条約改正を強く求める声があがった。
条約改正の成功
領事裁判権の撤廃(1894年)
関税自主権の回復(1911年)
条約改正はセットで覚えることをおすすめします。
領事裁判権 | 陸奥宗光 | イギリス |
関税自主権 | 小村寿太郎 | アメリカ |
- 大日本帝国憲法や法律が制定され、議会も開設され、近代国家が整ったため
- 日清戦争・日露戦争に勝ち、朝鮮を植民地にし、国力をみとめられたため
日清戦争
日清戦争(1894年)
下関条約(1895年)
朝鮮の一部の人々が、大規模な反乱を起こした(甲午農民戦争)
甲午農民戦争をおさえるという理由で、日本と清が朝鮮に出兵
その結果、日清戦争が起こる(戦場は朝鮮国内)
近代化された装備を持っていた日本が勝利
日清戦争の講和会議が、下関(山口県)で行われた(下関条約)
- 伊藤博文(首相)と陸奥宗光(外務大臣)が出席
- 台湾・遼東半島を日本にゆずる
- 賠償金として2億両を支払う
- 朝鮮の独立を認める
三国干渉
清の敗北は世界を驚かせた。
ロシアは日本の大陸進出を警戒し、ドイツ・フランスとともに日本に圧力をかけた。
その結果、遼東半島を清に返すこととなった。
このことを三国干渉という。
※三国干渉の後、ロシアが遼東半島を清から借り受けた
日英同盟の締結
三国干渉の後、ロシアが遼東半島を清から借り受け、満州にも軍隊を配備したロシアに対し、同じくロシアのアジア進出をけん制したいイギリスとの間に、日英同盟(1902年)を結んだ。
一方の国がひとつの国と戦争となった場合は中立を守り 、複数の国と戦争になった場合は味方として参戦する
日露戦争
日露戦争(1904年)
ポーツマス条約(1905年)
日本の海軍が遼東半島にある旅順のロシア艦隊を攻撃したことにより、日露戦争が始まった。
戦争が長引くにつれ、日本国民は増税に悩まされた。
- 幸徳秋水(社会主義者)
- 内村鑑三(キリスト教徒)
- 与謝野晶子(歌人)
与謝野晶子は「君死にたまふことなかれ」という詩を発表した。
1905年、日本海海戦で東郷平八郎ひきいる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝利し、世界を驚かせた。
日露戦争は、日本が優勢な中で終結。
アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトの仲立ちで、ポーツマス条約が結ばれることとなった。
- アメリカのポーツマスで行われた
- 小村寿太郎(外務大臣)が出席
- 北緯50度以南の樺太を日本の領土とする
- 旅順・大連と南満州鉄道の権利をゆずる
- 韓国における日本の指導券を認める
韓国併合
韓国併合(1910年)
韓国に総統府を起き、支配を強める
初代統監は伊藤博文
1909年に安重根によって伊藤博文が暗殺される
1910年に韓国を併合し、韓国は朝鮮とよばれるようになった
韓国併合により、土地の調査・日本語により教育が行われるようになった
※韓国併合の1910年はテストによく出るので年号も覚えるようにしましょう。
産業の発展
日清戦争前後:軽工業
日露戦争前後:重工業
日清戦争後に操業(1901年)した八幡製鉄所(福岡県北九州市)
- 九州で産出される石炭
- 中国から輸入される鉄鉱石
日本で最初の銀行設立
- 渋沢栄一(新1万円冊)
労働問題と公害
明治時代後半、日本の工業は生糸をつくる製糸や綿糸をつくる紡績業などの繊維工業が中心。
繊維工業で働いたのは、女工とよばれる若い女性たちだった。
長時間労働・安い賃金・不衛生な宿舎・栄養価の低い食事など、厳しい労働環境に置かれていた。
足尾銅山鉱毒事件
足尾銅山(栃木県)では、鉱毒が農民の生活を苦しめた。
衆議院議員の田中正造は、この問題を議会で訴え、1901年には明治天皇に直接訴えようとした。
義務教育の普及
義務教育は1900年に無料となり、学校に通う子どもたちが増えた。
日露戦争後には4年から6年に義務教育が延長され、学校に通う割合は90%を越えた。
明治時代の文化
文学
二葉亭四迷「浮雲」
夏目漱石「吾輩は猫である」
森鴎外「舞姫」
樋口一葉「たけくらべ」
石川啄木「一握の砂」
与謝野晶子「みだれ髪」
美術
黒田清輝「読書」
音楽
滝廉太郎「荒城の月」
医学
北里柴三郎「破傷風血清療法」
志賀潔「赤痢菌」
野口英世「黄熱病」
まとめ
明治時代の日清戦争・日露戦争は中学・高校入試でよく出題される分野です。
日清戦争・日露戦争が起こった原因、戦争の流れ、講和条約についてをしっかり覚えておくようにしましょう。
また、年号も出来るだけ覚えておくと良いでしょう。
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1910年 韓国併合
1914年 第一次世界大戦
戦争は10年ごとに起こっています。
覚えることが多い時代で大変ですが、テストに出る単元ですので、関連付けて覚えるようにしましょう。